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活性化事例

(伝統文化)×(街のファン)守り続けた“粋”な文化を多様なかたちで届ける

地域資源

各種連携

商店街名 神楽坂通り商店会・神楽坂商店街振興組合ほか/東京都新宿区

石畳や黒塀の情緒ある景観に、神社仏閣や日本文化を支える店、洒落たレストランなどが連なり、多くの人々を魅了する“粋なまち”神楽坂。だが、30年ほど前は、閑散とした寂しい街だった。商店街と住人たちの街を愛する思いと行動が、にぎわいを取り戻すまで。

(左)「神楽坂まつり」は“粋なお江戸の坂の街”を体感できる。(右)まち飛びフェスタ「坂にお絵描き」のにぎわい

“忘れられた街”だから日本文化が残された

平日でも多くの人でにぎわう神楽坂。しかし、現在のような〝神楽坂ブランド〞が醸成され、一般に認知されるまでには相当な時間がかかったという。
「戦後から’90年代初め頃までは、忘れ去られた街でした」

そう振り返るのは、街の目抜き通りの神楽坂通り商店会会長・石井要吉さん。大正後期から昭和初期にかけては、第一次の全盛時代。銀座の百貨店などが支店を構え、神楽坂通りは夕刻ともなると、道の両側に夜店が立ち並んだ。演芸場や寄席、料亭などが何軒もあり、多くの来街者でにぎわっていた。
しかし戦後、欧米文化が国内を席巻したことにより、神楽坂の醸し出す日本の伝統文化や風情ある街並みはいつしか人々の記憶から忘れ去られていった。
自分たちの街に自信を失いかけていた頃、商店街の店主たちは地元の東京理科大学建築学科の沖塩荘一郎教授と出会う。’91年、この街並みを愛する彼と店主たち、地域住民は、「神楽坂まちづくりの会」という組織をつくり勉強会を始めた。

「その時、『古いものは悪いものではない』と気づいたんです。昔ながらの景観、花街の文化が私たちにとっての強みだと」

神楽坂らしさを守るために、「街なみ環境整備推進委員会」が神楽坂通り商店会に設置され、行政とともに方針を策定

その後、将来のビジョンについての議論が進み、’97年、区と歩調を合わせたまちづくりが始まった。新たに複数のまちづくり組織も立ち上がり、統一スローガン「伝統と現代がふれあう粋なまち」のもと、活動が複合的に行われるようになっていく。

〝伝統〞を守るため、景観を損なう建築や広告などは規制できるようになり、電柱地中化や街路灯の設置が実現、街並みの情緒はより際立った。また、商店会は40年以上、夏の一大イベント「神楽坂まつり」も主催している。

「伝えたいのは〝神楽坂らしさ〞。日本文化や地域の魅力を伝えるために、ほおずき市、夜店、ゆかたでコンシェルジュ、阿波踊りなどを行っています」  このように、ソフト・ハード両面で〝粋なまち〞を守り続けた結果、時代が追いついた。たびたび映画やテレビのロケに使われたことや、国のクールジャパン政策の実施など、日本の良さや美しさを再確認する世の中の風潮に後押しされ、来街者は急増。閑散としていた通りに人が戻ってきた。

街のファンが神楽坂の魅力をPR
小道に入ると情緒ある景色に出会えるのが神楽坂。’07年に放映の倉本聰氏脚本のテレビドラマ「拝啓、父上様」で神楽坂の街並みが映されたことも、現在の人気の一因に

「今の神楽坂があるのは、これまで街の旦那さんたちが〝愛する神楽坂を守ろう〞と行動してくれたから。そうやって残してもらったこの街の文化資源を、次の世代に伝えていきたい」

そう力強く語るのは、主に文化・伝統芸能を通じたまちづくりを担当するNPO法人「粋なまちづくり倶楽部」の副理事長・日置圭子さんだ。その彼女が実行委員長を務める「まち飛びフェスタ」は、’99年より続くアートイベント。毎年秋に約3週間にわたり開催され、能楽や茶会、お座敷遊びなど神楽坂に伝わる日本伝統文化のワークショップから、音楽ライブや現代アートまで、文化芸術に紐づく催しが街のあちこちで繰り広げられる。

神楽坂通り全長約700mの坂道に長い紙を敷き、人々が自由に描き込む「坂にお絵描き」は特に人気で、坂に描く絵を見て我が子の成長を感じるのを楽しみに毎年参加する家族連れがいるという。このフェスタを成功に導くのが、〝街のファン〞だ。なんと、約50人ものボランティアが手弁当で運営に携わる。

「素人の私たちが、『大好きな神楽坂の魅力を伝えたい』という気持ちで携わるからこそ、このイベントになんともいえない〝温かさ〞が生まれ、それが神楽坂らしい〝味〞になる。だから多くの人に支持されているのだと思います」(日置さん)

 そのボランティアとの協業を含む運営支援を行うのが坂本健太郎さんと塩田行宏さん。地元に住み、この街をこよなく愛する2人は、会社勤めの傍ら、フェスタをフルサポートする。

「街のお手伝いをするのが趣味ですから。楽しくやっていて、気がついたらまとめ役になっていたんです(笑)」(坂本さん)

 商店街をはじめさまざまな組織がイベントを行う神楽坂では、年間で20を超える催しがある。2人はいつしかボランティア人員の調達を頼まれるようになり、ついには一般社団法人神楽坂サポーターズ、という組織を立ち上げてしまった。

商店街同士が切磋琢磨し粋なまちづくりを
にぎやかな商業空間だけでなく、銭湯などの暮らしに密着した施設が混在する

そんな彼らに、神楽坂の魅力を聞いてみると、「商と住が近くて、街に親しみがあるところ」との答えが返ってきた。

その〝住〞の部分に寄りそう商店街が、神楽坂の坂上に広がる神楽坂商店街振興組合である。商店と住宅が広いエリアに混在するこの商店街は、洗練された雰囲気のカフェやレストランなども多数あるものの、防災や子どものイベント、物産展、高齢者見守りの取組みなど、日常生活に根差した地道な活動に注力する。同振興組合理事長の横倉泰信さんは、こう話す。
「私たちはどちらかというと昼の商店街。なので、夜に強い神楽坂通り商店会さんたちとは補い合う関係にあります。神楽坂は、遊ぶところもあり、住むところもあり、古さと新しさ、シックとモダンが交差する街。性質の違う商店街がそれぞれの特徴を活かして、切磋琢磨していけば、たくさんの魅力を持つ街として光ります」

両商店街は、神楽坂の見どころが詰まったマップをそれぞれ発行している。それを片手に、てくてくとゆっくり歩いてみる。すると、地域の人々が守り、つくり上げている〝粋なまち〞の真髄を、あちらこちらに発見することができるだろう。

★この記事は、商店街活性化の情報誌「EGAO」の2020 Spring(春号)に掲載されています。
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