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活性化事例

ハード優先の失敗から学び市民主導で人材と場をつなぐ

地域振興

コミュニティ

商店街名 まちづくり機構ユマニテさが/佐賀県佐賀市

中心市街地再生のモデルケースとかつて謳われた佐賀市の街の再開発は、多大な負債を抱えて事業主が倒産するという結末を迎えた。大きな挫折と、先の見えない未来。しかしそんな中、前を向いて歩み続けた者たちがいた。それから約20年、街は確かなにぎわいを取り戻しつつある。失敗から学び成長する街の、再生の物語を紐解こう。

今年で54回目を迎える佐賀の夏の風物詩「さが銀天夜市」でにぎわう白山名店街。
佐賀市の繁華街唯一のアーケード商店街

再開発ビル事業に失敗まちづくり会社は倒産
1〜3階が商業フロア、5〜12階が分譲マンションで構成される再開発ビル「エスプラッツ」。ある意味、この場がすべてのはじまりに
佐賀駅から南に1〜2㎞のエリアに広がる佐賀市中心市街地。6つの商店街組織があり、それぞれが違うカラーをもつ。現在は「来る人、住む人、歩く人を増やす」まちづくりが進んでいる。

今から20 年ほど前、佐賀の中心市街地は逆境の最中にあった。’98年、空洞化が進む街なかの活性化を目指し佐賀市などが出資する第三セクター「まちづくり佐賀」が地上12階建ての再開発ビル「エスプラッツ」をオープン。その運営が、早々に暗礁に乗り上げたのだ。

中心市街地の再開発は’70年代からの懸案事項だったが、エスプラッツ開業までに要した年月は実に20年以上。その間モータリゼーションの急速な進展や商業施設の郊外への進出、エスプラッツとともに核になるはずだった近隣大型店の閉店など、計画を前提から揺るがす環境の変化があったが、事業の軌道修正が行われることはなかった。結果、先行きを懸念したいくつもの店舗が出店を辞退し、エスプラッツはオープン当初からテナントがわずか2割しか埋まらない事態に。その後の新規出店交渉もうまくいかず、責任の所在のあいまいさや計画の見通しの甘さなども露呈し、財政支援の目処も立たず、’01年7月、約16億円の負債を抱えてまちづくり佐賀は倒産した。

大きな失敗と絶望――先の見えない街の未来に、当時、多くの人が暗澹とした気持ちを抱えたことだろう。しかし、20年経ったいま、その街なかを覗いてみると、そうした過去を感じさせない風景が広がる。一角には親子連れや若者が集い、洒落た路面店ができている。街は、確実に再生されつつある。

日常的なにぎわいを生み目指す姿は“都市観光”
ユマニテさがが管理する街なか交流広場「656(むつごろう)広場」を背にする伊豆さん。音楽、サブカル、お笑いなどのイベントが日替わりで行われ、多様なカルチャーが交差するスポットに

まちづくり会社の倒産後、’05年に佐賀商工会議所内に改めて市民主体のタウンマネジメント組織「TMO佐賀」が設立された。これが、再生への大きな第一歩となった。「過去の経験から、〝ハードありき〞の危険性が身に染みました。当時のまちづくりに足りなかったのは、市民とのコミュニケーション。だから、市民自らが企画実行していくソフト事業を行うことで街の立て直しを図りました」と話すのは、TMO佐賀のかつてのタウンマネージャーで、現在はそれを発展させたNPO法人「まちづくり機構ユマニテさが」にて常務理事兼タウンマネージャーの任に就く伊豆哲也さんだ。伊豆さんは、商店街のメンバーらとともに、まずは街なかのにぎわいづくりに着手。書道の名門・佐賀北高校の生徒たちが書の腕前を披露する揮毫会、市民が出店する古本市など、市民主体の街なかでの活動をサポートし、横のつながりとにぎわいの芽を育んでいった。
さらに、まちづくりの活動メンバーは、佐賀県出身の建築家・西村浩さん(株式会社ワークヴィジョンズ代表取締役)に声をかける。そして’11年、西村さんの発案で、「わいわい!!コンテナ」プロジェクトが始まった。

「わいわい!! コンテナプロジェクト」のコンセプトは“空き地リビング”。本を読んでくつろぐ人、スタッフとおしゃべりする常連客、のびのびと走り回る子どもたちの姿などが見られる

当時の佐賀の中心市街地では地価下落によりマンションの建設ラッシュが起こり、多くの子育て世代が住むようになっていた。しかし、彼らはマンションの駐車場から車で郊外のショッピングモールへと買い物に出かけてしまい、街を歩いてくれなかった。「わいわい!!コンテナプロジェクト」は、そういった住民を恒常的に街なかに呼び込むための社会実験だ。

プロジェクトでは、市が借り上げた中心市街地南側の空地188坪に芝生を張り、ウッドデッキを設え、6台の中古コンテナを設置。雑誌や絵本など2 00冊以上の書籍をそろえて誰もが自由に読書できるスポットにしたところ、8カ月間で1・5万人が来場した。手応えを覚え、続いて交流スペースとチャレンジショップ機能を加えた「わいわい!!コンテナ2」をオープン。市民主体のワークショップやミニイベントがいつでも開催できるようにした。結果、来場者数は’12年度で約2・8万人、’13年度で約6・9万人と飛躍的に増加。サークル活動を通して新たなコミュニティが生まれ、人のつながりの輪が広がっていった。周辺店舗と連携し情報発信を強化したところ、来街者の回遊性はますます向上した。

伊豆さんは、この場ができて街の空気がガラリと変わるのを体感したという。コミュニティの場がつくられたことで、街の〝動き〞が可視化されるようになり、常に人が集まり何かをしている〝ザワザワ感〞が、「面白そうな街」というイメージを醸成していった。それが、感度の高い若手プレイヤーの関心を引き、彼らによるスタイリッシュなカフェやセレクトショップがオープンしていく。

’15年に、空き店舗を活用し期間限定でトライアル出店する「オープンシャッタープロジェクト」を実施したところ、予想以上に多くの出店希望者が集まり、本格出店につながる効果もあった。

「街がどん底の時代から活動してきましたから『ユマニテさんが言うなら』と快く協力してくれるオーナーが多いんです。なかには、新規出店者のために自腹で店舗を改装したオーナーもいました。街が活気づくことが、嬉しいのでしょうね」
伊豆さんはこの街の目指す姿を、観光都市ならぬ「都市観光」だと言う。「街の商品は街そのもの。日常に根ざした文化や生活を愛し大切にしている人たちがいて、それをみんなで磨いていけば自ずと人が集まる街になっていくのだと思います。日常性の象徴のひとつが商店街なのではないでしょうか」
大規模なハード事業によってではなく、市民の動きで日常の景色を変えていく。失敗からの学びを活かし、佐賀の中心市街地は一歩一歩、真の活性化へ向けて確実に歩みを進めている。

VOICE_01

誰よりも街を想う-

清水信弘さん
さが銀天夜市実行委員会 委員長
旧・銀天通り商店街振興組合 理事長
私費を投じてまで街のために汗を流す清水さん。「さが銀天夜市」でも実行委員長を務める。街の顔役として、若い人々からの信頼も厚い

この街の栄枯盛衰を見てきました。まちづくり佐賀が経営破綻した時は「進むも地獄、退くも地獄」という状況。逃げ出す人々も続出し、責任を取れる組織の重要性を痛感したものです。その時代から比べると、ユマニテさがをはじめとするさまざまな活動によって、若手が台頭している現状はすごく嬉しい。彼らは、自分たちでコミュニティをつくっている。

縮小傾向にあった街の一大イベント「さが銀天夜市」も、彼らの力で再び拡張してきた。それを見て、胸が熱くなりました。能力の高い人はここにたくさんいる。私は彼らをサポートしてくれるベテランを紹介するなど、活動しやすい環境をつくることが使命だと思っています。そうして新旧がそれぞれにベストを尽くし、多様な街になっていけばいいですね。

VOICE_02

- 若手を呼び込む仕掛け人 -

石橋真太さん
株式会社ワークヴィジョンズ 佐賀事務所
同社が運営する複合ビル「ON THE ROOF」。カフェやダンススタジオのほか、上階のシェアオフィスにはクリエイターが入居する

私たちは現在、コワーキングスペースとカフェの運営に携わりながら、リノベーションやイベントなどを通してまちづくり活動に取り組んでいます。私たちの事務所がある呉服元町には近年スタイリッシュなカフェなどの出店が続き、市内外からも若者が訪れるようになりました。今後も、地域に根ざしている子育て世代や大学生が遊びに来たくなるような魅力あるコンテンツを生み出していきたい。
目指すのは、モノに込められた想いやこだわりに触れられる商店街。ネットの時代だからこそリアルの場の価値を大切に、つくり手の人柄やストーリーを伝えていきたい。そのためにも、一緒に頑張ってくれるバイタリティある次世代プレイヤーを増やしていきたいです。この街のポテンシャルは、まだまだありますから。

★この記事は、商店街活性化の情報誌「EGAO」の2019 Autumn(秋号)に掲載されています。
「EGAO」をご覧になりたい方はこちらへ。

商店街活性化の情報誌「EGAO」

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