特集 | 「EGAO 2019 Autumn」特別座談会 |
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商店街が直面するさまざまな課題。
各エリアで活躍するプレイヤーは、どのように最初の一歩を踏み出したのだろうか?
経験に基づく生きたアイデアを、座談会で話していただきました。
- profile -
NPO法人まちサポ雫石理事長 櫻田七海(なうみ)さん (左)
’81年宮城県生まれ。結婚を機に雫石町に移住し、商店街で親子カフェを経営。
’15年、まちなかでの子育てやまちづくりを行うNPO法人「まちサポ雫石」理事長に就任。
町内全域でつながりをつくり、地域の課題を解決する活動を支援。
『ソトコト』編集長 指出(さしで)一正さん (中)
’69年群馬県生まれ。雑誌の編集を通して、日本全国の地域活動の見聞を広め、
自身も島根県「しまコトアカデミー」など、地域のプロジェクトに多く携わる。
内閣官房まち・ひと・しごと創生本部「わくわく地方生活実現会議」などを歴任。
熱海銀座商店街振興組合理事 市来(いちき)広一郎さん(右)
’79年静岡県生まれ。’07年に熱海にUターンし、ゼロから地域づくりに取り組み始める。
’11年民間まちづくり会社「machimori」を設立。’13年より静岡県、熱海市などと共同で
リノベーションスクールや創業支援プログラムなども企画運営。
――まずは地域におけるご自身の取組みについて紹介していただけますか。
櫻田 私は岩手県の雫石町で、NPO法人まちサポ雫石の理事長を務めていますが、実は雫石は縁もゆかりもなかった土地。結婚を機に移住して、今年で10年目を迎えます。子どもが3歳の時に親子カフェを始めたことをきっかけに、雫石よしゃれ通り商店街とかかわりをもつようになりました。現在は、コミュニティ支援も含め、中心市街地活性化のお仕事をさせていただいています。
市来 僕は地元熱海で12年前からまちづくりをやっています。’90年代に熱海が非常に廃れてしまったのをなんとかしたいと思ったのがきっかけですね。観光客を呼び込むことではなく、まずは街の人たちが街に本当に満足していないとダメじゃないかと思い、地域体験交流ツアーを始めました。ただ、それだけでは広がりがない。そんな時に出会ったのが、リノベーションまちづくりです。空き店舗ばかりの街なかを再生していくことで、地元の人が楽しめる街になるのではないか。そう考えて熱海銀座商店街に、空き店舗をリノベーションしたカフェをオープン。その後、NPO法人や会社をつくり、ゲストハウスやコワーキングスペースの運営、空き店舗の仲介なども行っています。おかげさまで今では空き店舗が減り、コミュニティも再生してきています。
指出 僕が編集長を務める『ソトコト』でも、市来さんの活動には早くから注目していました。社会を面白くする新しい人たちが出てきていると感じましたね。リノベーションという手法を通じて、街にとって大事な場所に新しい意味を与えて継承していこうという考え方は、若い人たちにまちづくりを「かっこいい」とか「やってみたい」と思わせるものでした。市来さんの活動に続くように、各地でそうした人々がまちづくりに取り組むようになりましたね。
――今号のテーマは「逆境からの第一歩」。みなさんは、具体的に何から始めましたか?
市来 僕らは街歩きですね。みんな街のことをよく知らない。僕自身もそうだったから、街のことを一番知っている商店街の人たちなどに案内してもらう街歩きを始めました。それがすごく面白くて!街の人たちとだんだんあいさつを交わすようになって関係性が生まれるし、何より地域の知らなかった魅力がたくさん見つかるんですよね。僕らが意識しているのは、いきなり新しいものを持ち込まないこと。むしろ、当たり前すぎて見過ごされているようなことを掘り起こしていく。
指出 若い人たちが歩くだけで、街はパッと明るくなるんですよね。彼ら自身も歩くことで街への愛着も感じられるようになるし、商店街の人たちも「なんか今日はにぎやかだな」と不思議に思ったり面白がったり。そういう感情の振れ幅みたいなものをつくることが大事だと思いますね。
櫻田 私の場合は、まちづくりや地域の課題を知らずに、自分がやりたいこととして商店街に親子カフェを開設しました。雫石には子育て中のママたちが集える場所がなかったんです。ただ、子育て支援をやりたいんだったら、より広い視点での地域づくりが必要だとも考えるようになりました。そこで、雫石町まちおこしセンターの指定管理者の公募に応募しました。
委託を受けて最初に取り組んだのがまちおこしセンターのリノベーションです。街の施設をみんなで生まれ変わらせようよ、って。そもそも雫石って意外と便利な田舎。秋田新幹線が開通して、その後、岩手初の大型ショッピングセンターができた。その頃から商店街はどんどん衰退していきました。外へのアクセスの良さが、かえって自分たちの街に対するテンションを下げていったと思います。だから、リノベーションやワークショップ、イベントの機会を増やすことで、中心市街地活性化というミッションをできるだけ「わがこと化」する。そうやって商店街や住民の方々のモチベーションが、少しずつ高まっていったと思います。
指出 櫻田さんたちはまちおこしセンターにくつろぎのスペースをつくりましたが、こういう場所があると、人が滞留したり、新しい出会いが生まれたりする。僕はそれを「関係案内所」といって提案しているんですが、従来の観光案内所ではなく、人と人との関係を案内できる場所が商店街にもあると良いと思いますね。
――「関係案内所」という考えは面白いですね。そこに必要な要素は何でしょうか。
指出 その場所に入った時に、地元の人も外から来た人もお互いに居心地の良さを感じることですね。ありがちなのは、もともと街にいる人のホーム感満載になってしまうこと。そうなると、すでに濃厚なコミュニティがあるから、外から来た人には関係が構築しづらい。どちらかに偏っているのは良くないですね。
市来 同感です。僕らも拠点づくりで意識しているのはそのこと。地元の人にも新しく来た人たちにも居心地の良い場をつくるには、地元の人でさえも“よそ者”に感じるようにすること。あそこに行けば、よそから来た人たちに出会える、新しい刺激があるということで来てもらえます。
櫻田 そういえば、私も含め一緒に働いている人たちは全員移住者で、しかも30代です。誰もしがらみをもっていないので、すごくやりやすい。
――“よそ者”が何かを始めて続けていくには、地域の人たちをどう巻き込んでいくかが重要に感じます。摩擦もありそうですが……。
市来 もちろんありました。通りを車両通行止めにして歩行者天国のマルシェを開催しようとしたときは怒号の嵐(笑)。でもそれは覚悟の上だったので、ひたすらコミュニケーションをとり続けた。やってから謝りに行こうと決めていました。やりながら見せていくしかない。人って、見て感じて変わるものだから、初めからすべての人に納得してもらうことは難しい。
櫻田 私は怒られるのが本当に嫌なので、とことん根回しするほうです。その一方で、いちいち気にしない鈍感力も必要かな(笑)。
指出 ちょっと横道にそれますが、令和の今、僕たちが着目すべきは昭和の建築です。これまで、モダンな明治の建築や、大正ロマン薫る建物が、街の資産として捉えられてきました。そして、令和生まれの人たちが大人になった時には、昭和メイドのものがまさに価値ある建築物になる。
そこに住んでいる人にとっては「そんな古いもの……」と軽んじられがちだけど、よそ者や若い人にとっては実はすごい宝物。この宝物をどうやったら面白くできるだろうってワクワクする。“よそ者”が街を変えられるというのは、このようにこれまでの街になかった新しい視点を与えられるからです。商店街は、その点昭和のアイコンです。だから、ワクワクのモチベーションがたくさんあるんですよ。
左が市来さんが携わったコワーキングスペース「naedoco」、右がゲストハウス「MARUYA」。ともに古い建物を新しい価値観で蘇らせた。
住民とよそ者の交流が生まれている
――踏み出した第一歩を大きな歩みにつなげていくためには、何が必要でしょうか?
市来 やはり、志を同じくする仲間は大切ですよね。自分だけで何もかもやる必要はないし、限界がある。“よそ者”でも若者でも、この人は!と思える人がいたら、どんどん一緒にやればいい。そうすることが商店街を外に開くきっかけになるし、“よそ者”がかかわれるきっかけにもなる。とはいえ、仲間をやみくもに集めることはしません。プロジェクトやイベント活動を通じて、目指すビジョンに共感してもらい、少しずつかかわってもらい、相互理解が進んだところで、仲間になってもらう。もちろん、こちらも共感してくれそうな人がどこにいるか、アンテナを張っていますけど。
櫻田 ゲーム好きの私は、ロールプレイングゲームだと思って仕事をさせてもらっています(笑)。ミッションによって、一緒にやる人を有機的に変えていく。「ここの城を攻める時は、誰と組む?」みたいな感じですね。また、私は立場上、街の人々から相談を受けることが多い。それをなるべく実現できるようサポートする。それが、みなさんのモチベーションにつながっているのかもしれません。
指出 僕は地域の仕事をする時、あまりエッジの効きすぎたビジョンにせずハードルを意識的に下げるようにしています。一定の“ゆるさ”があると、人は集まりやすい。また、発信も大事ですよね。大きなイベントを一年に一回だけ、というよりも、絶えず何かをやっていることが伝わる仕組みにしておいたほうがいい。“やわらかくて小さな発信”を定期的に続けているほうが、新しい仲間がやってくると思いますね。
櫻田 そうですね。雫石町で毎月行っている、軽トラを店舗にするマーケット「軽トラ市」というものがあるのですが、できることから始めようと、みんなでトラック型にしたプランターを手作りして、軽トラ店舗の前に並べて、ちょっとした統一感を出しました。それだけでも、街に表情が生まれます。
指出 組織の活動を広げていくためには、“三本の矢”が大切だと感じています。街を面白くしたいと考える人、そしてその両隣には、行政職員など取組みの地ならしをしてくれる人と、発信とグラフィックのうまい人。この3人がそろえば、仲間が来てくれます。
市来 たしかに。僕らも行政と一緒にやっていますが、うまく付き合っていくには、ポイントはふたつ。クレームを言わないことと、「お金をくれ」と言わないこと(笑)。補助金をむやみにいただくと制限ができる。まず自分たちで稼いで街に投資し活性化させていくことで、行政が着目し、制度面などからサポートを受けやすくなる。前向きな協力関係が大切だと実感しています。
――空き店舗や事業承継の問題などが悪化し、存続の危機を迎えている商店街は少なくありません。だからこそ、これからの商店街の可能性についてお伺いしたいです。
市来 何かアクションを起こすためには、商店街組織はとても力になります。少なくとも役員に理解してもらえたら活動しやすい。思うに、商店街自体が何かをやらなくても、誰かが何かをやりたい時にやりやすく、その後押しをしていただいたらいいんじゃないかな。今では、僕も熱海銀座商店街の当事者ですが、そのマインドは大事にしていきたい。
櫻田 雫石のような地域だと、商店街が街のなかで唯一、人を集めて商売や事業ができる場所です。商店街は田舎の町にとって最後の砦。活力の源を失うわけにはいきません。
指出 いわゆる“地方”でも、ひとつ輝く場所ができれば商店街は変わります。たとえば鹿児島県阿久根市の商店街にある「イワシビル」。3階建ての古いビルをリノベーションして、カフェやショップ、鰯の瓶詰め工場、ゲストハウスをつくったら、若者が訪れるようになり、そこを起点として回遊が生まれています。また、昔ながらの店でも、やれることはたくさんある。商店街の店は、基本的に陳列してあるモノの奥に店主がいる。でも今は、モノではなく人の時代。店主が一番前に出てくるくらいの構造を考えるといいのではないでしょうか。今こそ、商店街自体が人に価値を置いた取組みが求められていると思います。
――本日はありがとうございました。
★この記事は、商店街活性化の情報誌「EGAO」のEGAO 2019 Autumn(秋号)に掲載されています。
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