商店街名 | あざみ野商店会協同組合/神奈川県横浜市 |
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「誰もが住みやすい街にしたい」というひとりの住民の願いから始まったあざみ野の「認知症の人にやさしい街プロジェクト」。発足からわずか1年で、福祉施設や大学、サッカーチームなどを巻き込み、大きなムーブメントへと成長した。このプロジェクトの立役者は、あざみ野商店会協同組合。彼らから、地域社会を豊かにする商店街のあり方について学ぼう。
走らないフットボール!幅広い世代が参加。「走らない」といってもつい走ってしまう子どもたちの姿も
’21年12月の最終日曜日、晴れわたった「アディダスフットサルパークあざみ野」の空に、歓声が響く。この日開催されたのは、「あざみ野 認知症の人にやさしい街プロジェクト」のイベント「多世代交流型ウォーキングフットボール」だ。
ウォーキングフットボールとは、走らない、強いキック・浮いたボール禁止、ゴールしたら全員で喜びを表現するなど5つの基本ルールに則って行われる、誰でも参加できる競技。今回の参加者は、未就学の子どもとその親、高齢者、若年性認知症の人たちで、スタッフには高校生や大学生も混ざり、総勢70名を超えた。このイベントの実現は、主催の地元サッカークラブ「東急SレイエスFC」と、学校法人「桐蔭学園」、若年性認知症の人の支援サービスを行う団体「GrASP(グラスプ)」、そして「やさしい街あざみ野実行委員会」のチームプレイの賜物だ。
「多世代のいろいろな方たちと一緒に、同じ場所でひとつのことをやるという、理想が実現しました。自然にコミュニケーションを取りながら、気を遣い合ったり、優しい言葉をかけ合ったり。こういうことが普段の暮らしの中にも、浸透していったらいいですね」
そう話すのは、このプロジェクトが始まるきっかけをつくった、実行委員長の根岸里香さん。医療ソーシャルワーカーの経歴をもつ根岸さんは、結婚を機にあざみ野で暮らし始め、現在は不動産業を営む夫とともに働いている。同エリアで住まい探しをサポートする中、地元の人たちの暮らしにかかわる悩みを聞くことも多く、何かできることはないかと思い続けていた。
’20年7月、根岸さんはその思いをあざみ野商店会協同組合代表理事の黒沼勤さんに伝える。黒沼さんは、それをしっかりと受け止め、地域の福祉・保健サービスを担う横浜市の施設「地域ケアプラザ」に話を持ちかけた。こうしてケアプラザと商店会は初めて意見交換をすることになる。
黒沼さんは、振り返る。「(意見交換は)誰もが暮らしやすい〝やさしい街〟にするために何かやろうよ、じゃあ〝やさしい街〟ってなんだろう、というところから始まりました。〝みんなであいさつができる街〞なんかどう?などと話しているうちに〝認知症の人でも安心して買い物に行ける街が理想だよね〟となったんです」
商店街の近隣の築50年の大規模団地「すすき野団地」にひとり暮らしの高齢者が多いことや、根岸さんが参加していた「まちの相談所」という地域活動に、認知症に関する相談が多く寄せられていることなども明らかに。「それならば、〝認知症の人にやさしい街〞をテーマに活動しよう」ということとなった。
テーマを定めてみると、身近に認知症に関心のある人が案外多いことに気づくように。「『親が認知症なんだけど』とか『もしかしたら自分もそうなるんじゃないか』っていう人が多くて。認知症の活動は、他人のためだけでなく自分のための活動でもあるんだと思いました」
ケアプラザからの情報で、同じ市内の六角橋商店街が、’16年から神奈川大学の学生とともに認知症にかかわる取組みを実践していることも知り、商店会有志たちは、12月、六角橋商店街連合会を視察。たちまち会長の石原孝一さんと意気投合する。「これはまさに自分たちのやりたいこと。『これ、パクらせてもらってもいいですか?』って聞いたら、『もちろんパクって(笑)』と言ってくれて」こうして、あざみ野は六角橋商店街を手本にプロジェクトを進めていくこととなった。
’21年3月、商店会の枠を超えてより広く活動を進めるため、根岸さんを委員長、黒沼さん他3名を副委員長とした「やさしい街あざみ野実行委員会」を発足。毎月一度定例会議を設け、活動について話し合うこととした。その記念すべき第一回の会議で、世界アルツハイマー月間の9月をプロジェクトのイベント月間と定めたことから、活動はより具体化していく。
一方商店会としては、地域コミュニティを担う組織の役割を果たすべく、このプロジェクトを下支えするため、他の組織との連携体制を強化することに。7月には同区内の桐蔭学園・桐蔭横浜大学と包括連携協定を、8月には東急SレイエスFCと連携・協力協定を、六角橋商店街連合会とも同月姉妹商店街協定を結んだ。
こうした体制下で、大学生による認知症に関する意識調査や、プロジェクトを周知するイベント「キャンドルホルダーワークショップ」などが着々と進められ、9月のイベント月間を迎えた。数々の催しの最終日、9月26日のクロージングイベントでは、学生による調査の報告と溝上慎一学長による解説、プロジェクトの活動報告、「商福学医地連携のまちづくり」をテーマにしたパネルディスカッションなどが行われ、これまでの活動を総括、次へとつながる布石となった。
初回に10人程度だった実行委員会の参加者も、今では40人を超え、会議室に入りきれないぐらいだ。根岸さんの一言からあっという間に実行委員会ができ、地域のさまざまな団体を巻き込みながら賛同者を増やしてきた、その急成長の秘訣はどこにあるのだろうか。
「それは、自分たちが楽しんでやっているからですかね。会議も楽しく笑いながらやっていれば、また参加したいなって思ってもらえます。それと、うちの商店会は世代交代が進んでいるので、私と同年代の理事が多くて、すぐ動けることもあるかもしれません」と黒沼さんは笑顔を見せる。
9月のイベント月間が終わった後も、「認知症サポーター養成ステップアップ講座」や、「多世代交流ゴミ拾いウォーキングイベント」など、活動は途切れることなく続いている。コロナ禍の影響で延期となっていた「多世代交流型ウォーキングフットボール」も、年末に実現した。黒沼さんはプロジェクトの手応えをどう感じているのか。
「1年目なのでまだそれほど実感は湧いていませんが、とりあえず仲間はどんどん増えていますね。商店街にも来てくれます。知り合いがいれば『あの店に行こう』ってなりやすいですから。最近はこちらから声がけしなくても、『どうやって参加するの?』とお問い合わせいただくことも多くなりましたよ」
今後のビジョンとしては、商店会の会員の半数以上、できれば全員に認知症サポーター養成講座を受けてもらいたいと考えているという。実現すれば、高齢者や認知症の人も「この商店街で気兼ねなく買い物や食事ができる」という絶対的な安心感が生まれるはずだ。
一緒にプロジェクトを推進してきた仲間のいるこの街なら、自分が年を取っても、たとえ認知症になっても、安心して住み続けられる。プロジェクトにかかわるみんなが、そんな想いを共有しているに違いない。
あざみ野を“やさしい街”にすることをめざして、’21年3月に発足。3月9日、第1回の会議を開催。月1回の定例会には関心のある人なら誰でも参加できる。最近は会議室に入りきれないほど、人が集まるように。活動状況はSNSで頻繫に発信している
活動を周知するため、7月からキャンドルホルダーをつくるワークショップを行い、9月には40カ所に設置した。認知症の当事者や家族、支援者からのメッセージを貼ることで、その声を多くの人に届けた。「もともと地域で子育てに関することをやりたいと思っていたんです。このプロジェクトを通して学んだことを次の活動に活かしたい」
若者のアイデアの実現を商店街がサポート
ドッキリヤミ市場や商店街プロレスなどユニークなイベントの開催で知られる六角橋商店街が、〝お年寄りにやさしい街〟をめざして行っているのが「六角橋オレンジプロジェクト」。’16年から、神奈川大学の学生ボランティアや地元自治会、企業、ケアプラザなどと連携し取り組んできた。
商店街を認知症のシンボルカラーのオレンジ色に染め、啓発ポスターやランチョンマットを作成して配布したり、認知症サポーター養成講座や講演会を開催したりするなどの活動を行っている。
「講演会の参加者が、感極まって泣きながらご家族の話をしているのを見たりすると、やってよかったなと思いますね」と、六角橋商店街連合会会長の石原孝一さんは話す。
ここ2年はコロナ禍の影響で、対面の企画はほとんど実行できていないが、それでもオンラインや少人数でのミニ講座を開催したり、著作権フリーの啓発ポスターを作成したりするなど、できる範囲で活動を継続。現在、啓発アニメーションも制作中だ。あざみ野との連携も、大歓迎。「1カ所でやるより、広がったほうが絶対にいい。他の取組みでも連携できそうで、大きな相乗効果を期待しています」と、石原さんは微笑んだ。
★この記事は、商店街活性化の情報誌「EGAO」の2022 Spring(春号)に掲載されています。
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