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全国の魅力的な商店街をつくるための取り組み事例をご紹介します! 商店街活性化事例レポート

結束が生む笑顔の輪。世代間の力がつなげる阿蘇・復興への道 各種連携 震災復興

楼門や拝殿が倒壊した阿蘇神社。門前町の商店街では、本震のあった日の昼には早くも炊き出しが開始された。それを主導したのは商店街の若きリーダーたち。全国の商工会青年部とのネットワークで、支援物資も商店街に続々と届く。平時より培ってきた“つながり”が、災害時に発揮された。

商店街名 阿蘇門前町商店街 / 熊本県阿蘇市

商店街でひときわ目を引くアンティーク専門「みやがわ時計店」にて。店主・宮川幸二さん(右から2番目)を囲む「若きゃもん会」のメンバー

地域の助け合いを生んだ 頼れる若手リーダーたち

阿蘇市は阿蘇五岳の北側に位置する。取材時は地震により削られた山肌が見えていた。市街地から山上までは車で約40分。周囲には温泉街もあり観光客の多くは車で巡る

4月16日の本震で、大きな被害に遭った阿蘇。阿蘇神社の楼門、拝殿が崩壊し、門前町である阿蘇門前町商店街周辺でも全壊の建物が2軒、大規模半壊が4軒、一部損壊が多数と被害を受けた。

地震発生後、商店街や地域のためにいち早く立ち上がったのが商店街の青年部「若きゃもん会」だ。深夜1時25分に起こった本震の後すぐに、会のメンバーは手分けして独居老人宅を周り、周辺住民の安全を確認。建物内は危険と判断して皆を広場に集め、一夜をともに明かした。昼には各店の在庫を持ち寄って炊き出しも始める。
会の副代表で、全国商工会青年部連合会の元会長の宮本博史さんがテレビで放映されたことで、「宮本さんの地域を助けねば」と、同連合会の関係者らが支援物資の手配を開始。素早く福岡県に中継地点が作られ、支援物資がまとめられて県内各地と宮本さんのもとに届くようになる。それらの物資は炊き出し場所で次々と地域住民に配布。佐賀県から届いた発電機で携帯電話の無料充電もできるようになった。余震が続くなか、地域の女性たちが炊き出しを、男性陣は物資の選り分けや配布をと、分担して作業を行う。「ボランティアは自然と集まっとったね。知らん人が隣で作業していたりして、不思議やったわ。必死さは、実はあまりなくて、夏祭りのような気持ちで大らかにやっとった。自宅も店舗もぐちゃぐちゃのなか、必死にやっとったら心身ともに疲れきってしもうたやろうから、こういうゆるい感じでかえって良かった」と、宮本さんは当時を振りかえる。

災害時のマニュアルなどは作成していなかったが、彼らがこうして迅速に助け合うことができたのは、日頃から一緒のメンバーで商店街や地域のための活動を積み重ねてきたからだ。

  
震災で大きな痛手を負った阿蘇神社


商店街の立て直しへ 立ち上がった「若きゃもん会」

補助金を活用し夏祭をパワーアップ

周辺の被災者も訪れた商店街主導の炊き出し

阿蘇門前町商店街は、旧称を仲町通り繁栄会といい、昭和40年代には旧・一の宮町で最も活気のある地域密着型の商店街だった。しかし、平成になると大型スーパーマーケットの出店などの影響で次第に客足が遠のき、加えて、当時は観光客には見向きもされていなかったため、阿蘇神社には年間25万人の観光客が来るにもかかわらず商店街に流れる人はゼロという状態となった。ついに’99年には、地元の新聞に「消えゆく灯(ともしび)」というタイトルで、沈みゆく商店街として掲載されてしまう。
この記事を見て立ち上がったのが、商店街の若者たちだ。「親から『細々と商売していればお前の代までは大丈夫だろう』と言われていた。しかし新聞記事を読んだ時、俺らの商店街は外から見たら〝死にかけ〞だとわかった。」「GWでも通りでキャッチボールができるほど人通りがなく『このままではいかん』と焦っていた」||。自分たちの置かれた状況を冷静に判断した商店街の後継者たちは10名ほどで「若きゃもん会」を結成。商店街の立て直しに動き出した。初代代表である杉本真也さんは「こんな状況だけれど、いまならまだ余力がある。何とかしないといかん」とこの時腹をくくったという。

‘02年には手始めに、毎年開催してはいたものの、盛り上がりに欠けていた夜市(夏祭)で、抽選券付きの金券を作り、メンバーで買い取って販売した。景品としてガソリン1000ℓ券や旅行などを用意したところ、約1000人の集客に成功。しかし、その集客はイベントの時だけにとどまった。翌年から夜市の集客は約1500人に増えたものの、普段の日はやはり人が少ないままだった。
若きゃもん会は次の手を打つ。阿蘇神社の参拝客や観光客に目を向けさせるため、商店街の名物を作ることにしたのだ。観光客の滞在時間を少しでも延ばすため、馬肉を使ったコロッケや小ぶりのシュークリームなど、手に持って歩きながら食べられる商品を開発した。加えて親世代とも協力し合い、街路灯の設置、桜やコナラ、クヌギの植樹、湧き水を利用した水飲み場「水基(みずき)」の再整備を行った。

「景観整備などハード面は親世代と若きゃもん会のメンバーがあれやこれやと言いながら進めていった。親父たちは、夜店や商品開発などのサービスやソフト面を、俺らに自由にやらせてくれましたね」と、杉本さん。親世代と子世代の意思の疎通や役割分担がうまくいっているため、活動がスムーズに進んでいるのだ。そうした努力が実り、商店街を訪れる観光客はゼロから年間35万人まで急増する。そして4年前、杉本さんは代表職を現代表の岩永芳幸さんに譲った。「より若い世代を尊重しよう」という気風は親世代から受け継がれている。

現在「若きゃもん会」のメンバーは16名。店主や店の後継者にこだわらず、商店街や地域の活性化を担っていこうとする者たちで構成されている。市役所の職員もメンバーの一員だ。

商店街の発展を目指し一般社団法人化

阿蘇神社のすぐ近く、緑や水を感じられる場所にある。水基を配した「水基巡りの道」があり、多くの観光客が訪れる

若きゃもん会のメンバーはとにかく仲が良い。取材中も狭いスペースに膝を突き合わせ、冗談を言いつつ「いっつもこんな調子っちゃけんね」と笑い合っている。杉本さんは語る。「日々の中で一番考えなくちゃいけないのは、もちろん自分たちの店をいかに良くしていくかということ。個人や個店が一番。だから、商店街全体については頭の中に3割くらい入れておけばいい。でも、その3割を常に意識していれば、今回のような震災の時に、普段の結束力が発揮できる。大切なのは、いざという時にこそ生かすことのできる〝つながる力〞だ」と。

この力があるからこそ、若きゃもん会は逆境でもくじけない。震災後に観光客が激減した数カ月間を、自分の商売と商店街の未来を考える好機と捉え、皆で集中的に話し合いを重ねた。そして5月23日、いままで任意団体であった仲町通り繁栄会を「一般社団法人 阿蘇門前町商店街振興協会」として法人化する。今後は、補助金の有効活用も視野に入れ、年間の訪問客数80万人を目標に、商店街のステップアップを目指していく。

7月には、阿蘇神社の「御田祭」(おんだまつり)(国指定重要無形民俗文化財)があり、震災後最も活気に包まれた。千年以上絶やさず続けられている豊作を祈る祭りが行えたことで、地域の人たちは勇気が湧いたという。しかし、閉鎖中の周辺幹線道路も含め、地域全体が完全に復活するには3年はかかる。「3年ほど、商店街のこれからの未来についてじっくりプランを練る時間をもらえたと思っています。大型ショッピングセンターとの住み分けを考えて今後は個店のブラッシュアップを計り、観光型の商店街にシフトしていきたいですね」と、宮本さんは商店街の未来について話してくれた。


   
36基ある水基からはこんこんと水が湧き出ている


阿蘇市が発行する「広報あそ」に掲載された「若きゃもん会」の取組みを街頭でも大きく紹介。

 

★この記事は、商店街活性化の情報誌「EGAO」の2016 Autumn(秋号)に掲載されています。
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